映画ごった煮ブログ

【雑記】昭和の最後に公開された映画

4月29日の今日は「昭和の日」ですね。
昭和といえば印象深いのが最後の年となった昭和64年―――1989年でしょう。
1月1日~7日までのたった7日間しかなく、1月8日からは平成元年となりました。
その期間の短さから、昭和64年の硬貨は貴重という話もよく耳にしますよね。


そんな短い期間の昭和64年。
しかし、その短い間に公開された映画も存在していました。
今回は、そんな短い期間に公開された作品を紹介していこうと思います。




その作品とは『ジーグフェルド・フォリーズ』というミュージカル映画です。
1989年の1月7日に公開され、昭和から平成への橋渡しとなった作品でもあります。


主演は当時ミュージカル界のスターであったフレッド・アステア
彼の他にも、ジュディ・ガーランドジーン・ケリーなど、往年のミュージカル界のスターが出演。(中でもフレッド・アステアジーン・ケリーの初共演が見られるのはミュージカルファンには堪らないサービスかと思います)
まさに、ミュージカルのお祭りとも言えるキャスティングには、驚かされるばかりです。


内容はオムニバス形式となっているため、監督も総勢7人が集結。
中には、『若草の頃』のヴィンセント・ミセリ、『ショウ・ボート(1951)』のジョージ・シドニー、『イースターパレード』のチャールズ・ウォルターズらも参加。
ミュージカル映画との相性の良さを発揮していると言えますね。


そうしたそうそうたるメンツを集めたのが配給会社MGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)です。
今でもたまに見かけるあのライオンが吠えるロゴの会社ですね。
そんなMGMは、1974年の『ザッツ・エンタテインメント』辺りまでミュージカルに心血を注いでいました。
それはMGMが手掛けてきたミュージカルの集大成とも呼べる作品であり、その走りとなったのがこの『ジーグフェルド・フォリーズ』とも言われています。


そんな『ジーグフェルド・フォリーズ』が作られる経緯は、名プロデューサーと呼ばれたフローレンツ・ジーグフェルド・ジュニアが、1932年に亡くなったことを受けてでした。
彼が、1907年から1931年、1934年から1936年の間にブロードウェイで上演していた「ジーグフェルド・フォリーズ」こそ、映画のタイトルの由来となります。
そのジーグフェルドは、本編中にも登場。
天国から自分の作り出したショーを回想するという一風変わった展開を見せており、彼に捧げるにふさわしい内容と言えるでしょう。


先ほど「1932年に亡くなったジーグフェルドのために作った映画」と紹介しましたが、ここで疑問に思った方もいたハズ。なぜ、1989年の公開であるのか。
実はこの作品、製作は1945年で、本国アメリカでは1946年に公開されています。
つまり、40年近く経ってからようやく公開されたのです。
それが昭和最後の日となったのですから奇妙な偶然と言えますね。(まあ、製作陣はまったく知らない事実でしょうけど)


で、そこまで遅くなった理由については……不明です。
内容に検閲しなくてはならないものがあるとは思えませんし、先送りするほどクオリティの低い作品でもありません。
上の方でも少し触れた『若草の頃』、『ショウ・ボート(1951)』、『イースターパレード』(同じMGMのミュージカル映画)は、しっかりとアメリカ公開から数年内に日本公開されていますし、『ジーグフェルド・フォリーズ』だけ流したのは何か考えがあったのでしょうか……?


とはいえ、その謎采配があったからこそ、今回こうして作品を紹介することもできました。
もしかすると、昭和最後の思い出として誰かの心に残っているのかもしれませんね。